初めて買ったCDはベスト版「すいか」

中学1年生でした。


オリジナルアルバムは「Southern all stars」から。

かれこれ18年の付き合いになるわけです。


「Southern all stars」についていた腕時計はどこかに行ってしまった。

スイカパンツは未だにタンスに入っています。


初めて行ったライブは「THE 音楽祭 1991」

今はなき西宮スタジアムでした。

中3の夏。受験勉強をさておき、友人と2人ではせ参じました。

アンコール2曲目の「女呼んでブギ」

中学生にはちょっと刺激的でほれ込みました。


中学卒業の時にハマった曲は「旅姿六人衆」


高校の時に行ったのは「歌う日本シリーズ」と「しじみ」

しじみの一曲目がチャコだったときはしびれすぎました。

この曲をライブで聴けるとはっ!!と感動しました。


正直ホコリにまみれた「ホタルカリフォルニア」

秀樹に感激しつつも

なぜか筑紫哲也を目撃しました。


20周年は渚園。

静岡までの遠征は暑く、長く、でも愉快な思い出。

ミスブランニューデイとアンコールのBYE BYE MY LOVEが

特に印象的。

帰りは友人が東海道線の車内の床で寝ていました…



大学卒業の時に行った「セオーノ」

新横浜で待ち合わせた友人が言った一言、

「TJO、TJO、俺、チケット忘れた!!!」

は衝撃的だった。

(彼は母親にチケットを持ってきてもらい、

JAPANEGGAEのイントロの途中に通路を疾走してきて

かろうじて間に合った)



就職と共に岡山へ流れた私は、

一度サザンから離れようとした。


が、離れられなかった。

「TSUNAMI」でつながった2000年頃の恋もあった。



03年、25周年でライブに再参戦。

神戸まで、今の嫁と初の泊りがけ遠征となった。

会社の同期がなぜかサンバホイッスルを寄贈してくれて、感謝の涙。

会場では回りの様子を伺いつつも

シンドバッドの途中からは吹きまくり踊りまくり。


嫁は、「あんただけじゃないんだねえ~」と

不思議な納得をしてくれていました。




いつも、サザンがあって、サザンが流れていました。

中学~大学はじめくらいは

宗教の布教活動のごとく

よくベスト版のカセット(←年を感じます)を作ったものです。



「サザンはみんなのごはんのようなもの」とは

ベースの関口の言葉。

そう、僕にとってもご飯のようなもの。

いつもあたりまえにありました。


ご飯だけじゃダメ飽きるから、

たまにはおかずも食べておいて、と

30周年後の休止を解釈してみる。



また、ご飯は当たり前のように必要になるでしょう。

そのときにはきっと当たり前のようにまた、サザンが流れている気がします。



まずは、今年。

まずは横浜、日産スタジアム。

狂喜乱舞の08年夏になることは間違いありません。



一曲目はなんでしょう?

この予想、18年で一度もあたったことありません。

それでも、予想してしまうんでしょう。